南の島のブログ

東南アジア在住のおっさんの戯言

フィリピンの宗教について

キリスト教徒が多数派(フィリピンのキリスト教徒の割合は90%を越えるそうです)の国に住んでみて、つくづく思う事のうちの一つが「自分にはカミサマがいないんだ」という当たり前のことだったりします。

“Oh my God” という言葉がわりと日常的に使われる(私も使いますが・笑)のですが、感覚的に日本人が「やっちゃった」「ついてない」「信じられない」と言う状況で使うフィリピン人が多い気がします。

「やっちゃった」とか「ついてない」、「信じられない」の主語はあくまでも自分なのに対して、"Oh my God”は主語のない心情を表す言葉なんですが、何故か他にぴったりくる日本語が思い浮かびません。

カミサマがいない人にはわからない心情表現なのかもしれませんね。

 フィリピンの人達は悲しい出来事に行き当たる事は日本人より多い気がします。

 乳幼児や胎児の死亡率も高いし、経済的に苦しくて進学や趣味、自分のしたい事を諦めなければいけない事も多く、悲しい事があるとよく泣きます。

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フィリピンの田舎の工場からの夕陽

 

 悲しい出来事は「自分の責任による原因」と「なんらかの不可抗力」が重なって起る事がよくあるのですが、その「割合」に対する考え方が日本人とフィリピン人では大きく違っているように感じます。

 例えば自己責任論という言葉が日本ではよく聞かれますが、「自身の判断で危険な地域に赴いた国民が敵対者に拉致された」という状況に対し「そもそもそんなところに足を踏み入れた」という自己要因と、「運悪く敵対者に出会ってしまった」という不可抗力のどちらに重きを置いて物事を見るかで、感想やその人が取る行動は全く異なってくるのではないでしょうか。

 上記の例と結び付けて考えるべきかはわかりませんが、2004年にイラクでフィリピン人労働者が拉致された折、フィリピンでは「駐留軍を撤退させて自国民を守るべき」という世論が高まり、大統領がそれに応えて撤兵を指示し、人質が解放されたという出来事があったそうです。

 この事件や大統領の判断の是非を語るつもりは全く有りませんが、事件を通して日本人との違いを感覚的にご理解頂けるかもしれません。

(色々と背景が有りますので、気になる方はフィリピン・人質・撤退などのキーワードで検索してみて下さい。)

 フィリピンでは、嬉しい事も悲しい事も、ある程度の割合で「カミサマの思召し」によって起こり、ちっぽけな個人には抗う術は無いのだ、という考えが一般的なので、よく泣いてすぐ立ち直って、いつも笑顔で、困った人に優しいのではないでしょうか。

 日本人が鬱病になりやすいのもこの辺に理由が有るのかもしれませんね。

 悲しい出来事があった時は、"Oh my God”と呟いてみると、少しは気分が変わるかもしれませんよ?

 

#フィリピン #言葉 #英語 #宗教 #文化 #駐在員